世界初 パラフェルナーリアについて
©Per Olov Jansson
Piblishig rights Moomin Characters Oy Ltd
パラフェルナーリアまたは「カマ」(フィンランド語で「もの」)のコレクションは、1993年、トーべ・ヤンソン(1914-2001)とトゥーリッキ・ピエティラ(1917-2009)によりフィンランド・
タンペレ美術館に寄贈されました。
以前にも、トーべ・ヤンソンによってムーミン物語の挿絵の原画やそのほかの作品からなる宝の山のような贈り物が同美術館に
寄贈されています。
パラフェルナーリア・コレクションは、さまざまな「もの」の
入った60あまりの箱に収められています。
ムーミンのフィギュア、建築資材、スケッチなどのほか、
写真、スライド、書簡、新聞の切り抜きなどアーカイヴ的な性格のものもあります。
なかでも魅力的で想像力をかきたてるのは、生地や壁紙の切れ端、パリの蚤の市で手に入れたスパンコールや、
アンティーク・ショップで選んだ小さな骨董品です。
砂、羽根、貝殻、毛皮、革、グリッターの入った袋もあります。
これらはめったに展示されることもなく、フィンランド、
タンペレ市のムーミン美術館で展示されているのも、
ほんの一部にすぎません。60の箱から選びぬかれた
これらの「もの」が貸し出され、展示されるのは、
今回が世界で初めてです。
(リーッカ・クイッティネン、ムーミン美術館学芸員)
ワークショップ
クレジット
【特別協力】
Moomin Museum/Tampere Art Museum(ムーミン美術館・フィンランド)
Moomin Characters Oy Ltd. (ムーミンキャラクターズ・フィンランド)
【日本語監修】
冨原眞弓(聖心女子大学名誉教授)
【英語監修】
安達まみ(聖心女子大学現代教養学部英語文化コミュニケーション学科教授)
【協力】
フィンランドセンター、Visit Finland(フィンランド政府観光局)
聖心女子大学現代教養学部英語文化コミュニケーション学科・
大学院英語英文学専攻修士課程 「翻訳を通した企業協力」「翻訳理論と実践I-1」クラス
【協賛】
フィンエアー、フィンエアーカーゴ
【後援】
駐日フィンランド大使館、飯能市、飯能市教育委員会、飯能市フィンランド協会
【企画協力】
S2株式会社
【主催】
ムーミンバレーパーク
Comment
監修者からのコメント
冨原眞弓
聖心女子大学名誉教授
ー 日本語監修 ー
今回の企画展のキーワード「コンヴィヴィアル」は、ムーミンバレーパークの
コンテンツ・ディレクターのKとの会話から生まれました。だいたい、こんな感じ。
食べものをテーマにした展示を企画したいんです。
でも、作品中にあまり凝ったものは出てきませんよね。ヤンソンさんは食べることにこだわりがないから…。
そうなんです。意外と素朴なものが多くて。ジャムとかパンケーキとか。
ムーミンママは料理というか、家事全般において、わりと手抜き派ですよね。
食器はまとめて雨の日に外に出して洗う、いや、ざっと洗い流すだけというか。
コミックスの「ふしぎなごっこ遊び」のスグリのジャムづくりなんか、完全に遊んでますよね。
ミーサが怒っちゃいましたね。食べもので遊ぶなんて、不謹慎だって。
それどころか、ベリーだって、りんごだって、マメルクだって、みんながいい気分に
なって分かちあうきっかけになるなら、本望ってことじゃないですか。
生命はこうやって脈々とつづいていくんです。
こういう浮き浮きした感じ、いいですよね。食べたり飲んだりしながら…。
それだ、「コンヴィヴィアル!」、これで行きましょう!
それから何度も計画を練り直しました。おりおりに英訳監修者Aと互いの文章を読み、
日本語と英語にずれが生じていないかをチェックしました。
でも、互いが互いの直訳ではないところがミソです。
日本語は日本語らしく、英語は英語らしく。よかったら読みくらべてみてください。
安達まみ
聖心女子大学現代教養学部
英語文化コミュニケーション学科教授
ー 英語監修 ー
企画展のテーマは、「食を介してともに在る」、さらには「食を介して不在をしみじみ感じる」ことです。
『たのしいムーミン一家』のパーティーで、ムーミンママの焼いた素朴なパンケーキは、クロヒョウだけを供として生きてきた飛行おにの孤独を和らげてくれました。
自分をこわがらず、当たり前のように、あつあつのパンケーキをふるまってくれる相手に、はじめて逢ったのです。
うれしくなって、みんなの願いごとを聞いてやります。
ハイライトは、その場におらず、ひとりで旅をするスナフキンに、山盛りのごちそうが載ったテーブルを届けてというムーミントロールの願いです。産学連携授業の一環として企画展の日本語テクストを英訳した聖心女子大学の学生たちも、あるときは対面、あるときはリモートと、互いのあいだで絆を紡いでいったのだと思います。